製薬会社でのライスワーク、趣味のアンティークストーブ収集と修理の傍、春から秋にかけてライフワークの山菜・きのこ採取に精進する日々を送る菅原氏。山で出会ったとある昭和の先達から大正生まれの文豪・檀一雄氏の名著『檀流クッキング』を伝授され、料理に目覚めた。30代前半ながら15年以上の山歴を誇るが料理童貞の若き山幸ハンターが令和のときに料る狩猟採取料理とは—— 。
「やっぱり猫が好き」
盛岡と云ったら、何と云っても、「ワンコソバ」だろう。
出雲の「割子ソバ」も面白いが、ワンコソバは濃厚な郷土色を発揮して、マグロやスジコなどのブツ切りあり、鶏肉のソボロあり、ナメコあり、クルミ、葱、ノリ、カツブシ、ゴンパチガラミ等、さまざまな薬味類が続々と登場するところ、痛快と云いたいくらいである。「ゴンパチガラミ」とは、紅葉おろしのことだ。碗に盛ったソバは、食べ終われば、たちまち、例の肩越しのお代わりが投げ込まれる塩梅で、いやはや、おそれ入った。
(中略)
遠野市にも、またこれは素敵なソバ屋があり、「ワンコソバ」ではなく、木製の山弁当につめ合わせる「ヒスコソバ」だが、これは品のよい、云わば「ザルソバ」であった。
(中略)
東北一帯の山地はどこでもそうだろうが、キノコと山菜の宝庫である。
シドケだの、ミズだの、タラボッコだの、バッケ(蕗のトウ)だの、ワラビだの、根マガリダケ(月山筍の一種か?)だの、これらの山菜が、春から夏にかけて、どのくらい季節の感触を土地の人の食膳に供しているか、わからないだろう。
『美味放浪記』(檀一雄)
上記は、「しばらくの間、日本のここかしこの町を、飲んで、喰べて、うろつき廻ってみないかと云う、棚からボタ餅のような愉快な話を持ち込まれた」檀先生が、その道中をまとめた『美味放浪記』から、かつて南部藩が治めていた岩手県中北部から青森県東部に跨る南部地方をうろつき廻った記録の一節である。
稀に見るキノコ凶作であった2020年の秋を終え、コロナの蔓延をいいことにテイクアウト三昧で料理の道に精進することもせず、早々に冬眠=ステイホームと決め込んだ小生は、せめてもの暇つぶしにと先生の著作を貪り尽くすことにした。そこで出合ったのが、同著である。
盛岡、花巻、遠野というソバ好きには知られた地に挟まれた矢巾という街で生まれ育った小生は、「やっぱり蕎麦が好き」だ。無論、「ワンコソバ」を喰らったことはある。しかしながら、昭和から平成へと移ろう世に一声を風靡したホーム・コメディ『やっぱり猫が好き』よろしく猫を愛す小生に、キャンキャン給士嬢たちとジャレあう軟派なワンコソバは似合わない。
そのお代わり攻めに「いやはや、おそれ入った」と仰る檀先生も、『わが百味真髄』では「ソバの打ち方、ソバツユの調合、薬味、そのタネモノに至るまで、総合して考えたら、やっぱり江戸を継承する東京ソバ王国の進化はわかるだろう」と吟じており、「やっぱり猫が好き」でいらっしゃるようだ。
ならば今回は、もたいまさこ、室井滋、小林聡美からなる、三位一体にしてその魅力を最大限に発する恩田三姉妹が如くシンプルながら奥深いモリソバを、昭和の世に水木しげる先生が描いた猫娘のようにツンとした薬味と共に拵えてみることとしよう。
無論、それはマタタビではない。バッケが顔を出し始めた4月上旬にモリソバを彩る東北の山菜は、花山葵を置いて他にあるまい。
「花の命は結構長い」ものではない
ご存知の方も多いかと思うが、ここ日の本で「山葵」としてスーパーマーケットなどでチューブ状になり販売されているもののほとんどが、「西洋山葵=ホースラディッシュ」を主体とした「本山葵」とのブレンドものである。
洋の東西を問わず、山葵は根の部分をすり下ろしたものを食するのが一般的であるが、たまに小洒落たソバ屋などで見かける本山葵100%を謳い自らすり下ろして食すものにしても、ゴツゴツした大工職人の親指の太さもあるようなものは、ほぼ全てが栽培ものであると云ってよい。天然の本山葵の根は比較的スラリとしており、御婦人の小指ほどの太さのものが一般的だ。
天然の本山葵は、雪解けの頃にできる沢の周辺で、鮮やかな緑色の葉を出し始める。常に一定量の水分がないと育つことはできず、葉が出た後すぐに蕾が膨らみ始め、やがて桃のような甘い香りを纏う白く可憐な花を咲かす。その旬の時期は短く、更に収穫後はすぐに萎れてしまうのが特徴だ。
成長度合いに応じて蕾のついているものを「花山葵」、ついていないものを「葉山葵」と呼ぶのだが、最近、葉山葵は都心部のスーパーマーケットなどで見かけることもある。恐らくそれらは主に根を出荷するために栽培された本山葵の茎と葉の部分を摘んだものであろう。花山葵の方はと云うと、ほとんど見かけることはない。
大地真央姉御から長谷川京子女史、そして綾瀬はるか嬢へと歌い継がれてきたように、天然物の「花の命は結構長い」ものでは、決してないのである。
無論、天然物の本山葵も根の部分をすり下ろして食べることもできるが、如何せん量がとれず物足りない。彼女たちがその魅力を最大限に発揮するのは、茎や葉、そして蕾の部分なのだ。
しかしながら、根以外の部分は「素顔のままで」いただいても、山葵特有の辛みは、あまり感じられない。その美しさを引き出すためには、一寸した刺激を与え導いてあげることが必要なのだ。
塩をまぶし優しく揉みしだき、灰汁を抜いたら、熱いシャワーを浴びてもらう。更に「ベッドの中で魚になる」が如く、蓋付の瓶の中に入れ優しく振ってあげると、山葵本来のあの辛さを体内から醸し始める。最後に、汗を拭いてあげたら一寸位に切り刻む。これで、シャキシャキツンツン、猫娘のような孤高の薬味の完成だ。
餅は餅屋、ソバはソバ屋
さて、肝心のソバである。
著作の中で幾多もソバについて論じている檀先生ではあるが、その調理法は『檀流クッキング』には載っていない。我が祖父そして父然り、昭和・平成にかけてはずいぶんとソバ打ちに勤しむロマンスグレーが多かったようだが、先生のモットーは「餅は餅屋、ソバはソバ屋」ということであろう。
そんな由縁から、ここは小生がライスワークの傍よく通うソバ屋で北上市に店を構える「うちむら」にて教えを乞うことにした。程よい香味の「おろしソバ」、そして岩手のソバ屋だけに「ゴンパチガラミ」までも美味い、知る人ぞ知る名店である。
ご多分に違わずソバ屋の親父然とした頑固そうな面持ちのご主人は、無論ソバ打ち童貞であり厚顔無恥にもソバ粉すら携えず、割烹着一丁を手にソバ打ち体験を申し出た小生を、温かく迎えてくれた。
聞けば山菜にキノコ採り、そして渓流釣りを愛すと云う。やはり山の民は、温かい。営業終了後、山の情報を交換しつつ、幸運にも手本を見せてくれることと相成った。
「いい粉を見つけ、うまくマゼてコネてノバしてキル」。店主によると、これに尽きるとのことだ。更に聞けば、秋の新ソバの時期から時間が経つに連れどうしてもひび割れが起きやすくなるそうで、素人にはとても敵わない。ソバは美味いものに限る小生にとっては、やはり「ソバはソバ屋」。結局、自らソバ打ちをすることなく、打ち立てのソバを購入した。しかも、秘伝のタレまで付けてもらう。
せめて持参した花山葵を置いて来ようかと思ったが、そうは山菜問屋が許さない。既に収穫積みであろう山の先輩に失礼だと思い、自粛する。
とっておきのソバとタレを仕入れた小生は、さっそく家に帰り、御指南いただいた通りにサッとソバを茹でる。大きめの鍋で決してかき混ぜることなく、湯に潜らすことものの一分。冷水でキリッとしめると、香り、コシ、喉越しと云う、ソバ界の恩田三姉妹がバランスよく揃ったソバが茹で上がった。
秘伝のタレを注いだソバ猪口に、花山葵を薬味として落とし込み、噺家のように豪快にソバを流し込むと、豊潤な香りの後に、猫娘のツンシャキな爪に襲われた。
檀先生、そして僭越ながらソバ師匠にも是非体感して頂きたい、春の新感覚である。
中ソバも ワンコよりやっぱり 猫が好き
うちむら
岩手県北上市和賀町岩崎2-17-17
tel:0197-73-7732
*土日月の昼のみ営業
Profile
菅原 徹(山菜・きのこ採取&料理&写真)すがわら・とおる●1987年生まれ。地元岩手県矢巾町で18歳の時から祖父、父と山に入り、「キノコや山菜は生活の一部」という環境で育つ。キノコ・山菜歴は16年。岩手菌類研究同好会所属。岩手県・住田町でのきのこ講座、盛岡つどいの森での採取会、県内各地の緑化センターなどで、きのこの見分け方指導や展示などの活動をする。
www.instagram.com/tttsugawara/