にっぽん 民藝 journey
# 17
日本から消えるかもしれない
カスタネット職人
2021.10.26

日本各地には、土地の気候や地理、歴史文化、地域情勢などと密接な関係を持った民藝が点在する。伝統的なものから新しいものまで実に多彩だ。大量生産型の工業製品にはない、見えない背景が生産物の数だけある。そうした民藝ができあがるまでの物語を連載では追っていきたい。今回は日本で唯一(?)カスタネットをつくり続ける冨澤健一さんのもとを尋ねた。

写真:西山 勲/文:田中 菜月

小学校で使っていた
あの赤と青のカスタネットは今

小学校時代の音楽の授業を思い返してみてほしい。音楽に合わせてカスタネットを叩いた記憶はないだろうか。そして、カスタネットといえば、赤と青のイメージカラーが思い浮かぶだろう。

かつて、そのカスタネットの製造を一手に担っていたのが、群馬県みなかみ町に工房を構える冨澤健一さんだ。周辺に木材が豊富にあったことから、父の代より木工を生業としてきた。“ろくろ”という木を削る機械を使って丸い形に加工するのが得意だったため、主にお盆などを製造していたという。

かつて、そのカスタネットの製造を一手に担っていたのが、群馬県みなかみ町に工房を構える冨澤健一さんだ。周辺に木材が豊富にあったことから、父の代より木工を生業としてきた。“ろくろ”という木を削る機械を使って丸い形に加工するのが得意だったため、主にお盆などを製造していたという。

健一さんが再現したミハルス。

1947年頃のこと、ある大学の先生がカスタネットの前身である“ミハルス”なるものを持参して、小学生向けにつくってくれないかと依頼にやってきた。舞踏用のカスタネットを鳴らしやすくするために改良されたものだった。

冨澤家の工房は丸物加工を得意としていただけあって、私たちが慣れ親しんでいるあのまん丸なカスタネットができあがった。大学の先生が関わっていたことや物珍しさもあってか、ヤマハや学研などの子ども向け教材の一つとして、カスタネットは瞬く間に全国に広がっていった。小学生のときのお道具箱の中に必ずカスタネットが入っていた時代もあったそうだ。

機械の多くが自作だという。板を丸くくり抜くこの刃も、健一さん自ら加工してつくったそう。

45年ほど前の最盛期には、年間230万個を製造。自社だけでは生産が追いつかず、周辺の木工所を含めて四軒でつくっていた。健一さんも10歳のときにはカスタネット用に板を丸く抜くのを手伝っていたという。だが、その勢いにも次第に陰りが見えはじめる。

丸くくり抜かれた木の表面にくぼみをつけるため、この機械で削っていく。
カスタネット部材が高速回転しているところに、紙やすりを当てて磨く。

「それまではずーっと一人1個持つものだったけど、子どもたちがそこら中でカスタネットを鳴らすのがうるさいって。それで学校の備品になったのが25年前。備品になると毎年購入されなくなるから、がくんと生産量が減った」

「それまではずーっと一人1個持つものだったけど、子どもたちがそこら中でカスタネットを鳴らすのがうるさいって。それで学校の備品になったのが25年前。備品になると毎年購入されなくなるから、がくんと生産量が減った」

そして、工場を畳むことになっていったのだった。

辞めて遊ぶつもりが
捕まったんだよ

「68歳でカスタネットづくりは辞めたんだよ。半年間だけ遊べた。そしたら日本自然保護協会の人に捕まったんだよ(笑)。『またカスタネットつくってくれないか』って」

当時、みなかみ町では「赤谷プロジェクト」が動き出していた。町の北部から新潟県との県境にかけて広がる国有林・赤谷の森において、生物多様性の復元や持続的な地域づくりを目指した、地域住民や森林管理局、日本自然保護協会が協働する取り組みだ。このプロジェクトで森林整備の際に伐採された広葉樹材の有効活用が模索される中、白羽の矢が立ったのが健一さんだった。

「工房を畳んだときに本当は機械が全部なくなるはずだった。でも、くず鉄が安いからってなかなか引き取ってもらえなくて。早く持ってってくれればカスタネットもつくれないし、協会の人に捕まらずにゆっくり写真を撮って遊んでられたんだけど(笑)。『間伐した木がせっかくあるからみんなでやろうよ』『森の木の種類を子どもたちに教えてよう』って話で協力することになったんだけどね」

軽い気持ちでカスタネット製造の再開を承諾したが、やりはじめて大きな壁にぶつかったという。

「ちょっとしたお小遣いになればいいと思ったのが大間違い(笑)。もらった材料で試作してみたら削れない。削れてもザラザラになる。木は外側から内に向かって成長するから、どんどん押されて木が硬くなるのね。だけど今は直径20~25㎝のそんなに成長していない材だから、“もさもさ”の材質になってしまう。前につくっていたときは丸太の直径が平均45㎝のものを入札してたから、いい材料だったんだけど。紙やすりしなくても楽にきれいに削れたし、大量につくれた。それが今の材料になったら、大量どころじゃねえ、紙やすりで磨くのが削る工程の3倍もかかる。最初に粗い目の紙やすりで磨いて、そのあとに細かい目のもので磨くから、すごい手間がかかる」

現在健一さんがつくる「森のカスタネット」。樹種は左からクリ・ミズキ・サクラ。編集部撮影

かつては削りやすいブナの木などを使っていたというが、今はサクラやミズキ、クリの木を使っている。これらは職人人生で初めて触れた樹種だった。また、削って磨く工程もさることながら、その前段階である板の加工も大変だという。人工的に育てられていない広葉樹はひょろひょろと細く、その特性上、曲がりくねったものが多い。そうした丸太を製材機に通してまっすぐな板を挽くというのは土台無理な話なのである。森の奥に太くていい木はないこともないそうだが、道が近くにないため、木を出してくるのにお金がかかってしまう。そのため、手に入りやすく比較的削りやすい今の3種類が残った。

往時に活躍したという、一度に大量のカスタネットを色づけするための自作の道具。フックになっている部分にカスタネットを引っかけて、ざぶんと塗料の中に浸していた。

現在販売しているカスタネットは、以前のように塗料が塗られることはなく、磨いてそのままの無垢材だ。木の種類によって色や木目が違うことが分かるという理由で無塗装が採用された。昔つくっていたときの赤と青のカスタネットは業者の依頼で塗装したのだそうだ。理由はまるで正反対。

「年輪の木目を隠してほしいと言われて、それで色を塗った。口に入っても安全にしたいと思って専用の塗料を使っていたんだけど、使う人が少ないからもうつくられなくなったみたい。今売られている赤と青のカスタネットはほとんど中国製で、ウレタン塗装。ウレタンは噛んだりすると身体に良くないんだよ」

見た目は同じでも、つくり手によって、どのような思いでどのような材料やつくり方を選ぶのかはまったく異なる。物を手に取ったときはそこまで想像してみる余地が必要だ。

「樹種によって音が違う。同じサクラでも色々な種類があるんだけど、ヤマザクラが一番いい音するよ。火の用心や歌舞伎の拍子木に使われるくらいだから」

健一さんはカスタネットの製造だけでなく、どのようにつくられているのか、木の種類によって色や香り、音がどう違うか、子どもたちに伝える活動も行う。地域内外から小学校の課外授業などで子どもたちが工場の見学にやってくるという。

取材の帰り際、お土産にと群馬県のマスコットキャラ・ぐんまちゃんのイラストが入ったカスタネットをプレゼントしてもらった。

最後に、後継者について尋ねてみると、
「いないよ。だって、これで生活できないじゃん」
そう返ってきた。いずれは日本製のカスタネットが消えてしまうのだろうか。

いやいや、ここまで話を聞いてしまったら、このカスタネットづくりの技術は残ってほしいと独りよがりに思う。だから、ひとまず森のカスタネットを買うことにした。甥っ子やもうすぐ1歳になる友だちの子どもにでもプレゼントしよう。

いやいや、ここまで話を聞いてしまったら、このカスタネットづくりの技術は残ってほしいと独りよがりに思う。だから、ひとまず森のカスタネットを買うことにした。甥っ子やもうすぐ1歳になる友だちの子どもにでもプレゼントしよう。

●冨澤さんがつくるカスタネットの購入はこちら

田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。