にっぽん 民藝 journey
# 14
人と鹿の歴史を映す
甲州印伝づくり
2021.8.2

日本各地には、土地の気候や地理、歴史文化、地域情勢などと密接な関係を持った民藝が点在する。伝統的なものから新しいものまで実に多彩だ。大量生産型の工業製品にはない、見えない背景が生産物の数だけある。そうした民藝ができあがるまでの物語を連載では追っていきたい。今回は山梨県甲府市で鹿革製品をつくる〈印傳の山本〉を訪ねた。

写真:西山 勲/文:田中 菜月

地元の素材を使うのは当たり前じゃない
甲州印伝の今

甲州印伝は、山梨県で400年ほど続く伝統的工芸品だ。漆で細やかな模様を施した鹿革を、財布やカバンなどの革製品に仕立てる。旅先の土産物店などで目にしたこともあるだろう。

由緒ある工芸品ともなると、さぞこだわりぬかれた国産原料でつくられているのだろうと想像してしまうが、実際はそうでもないようなのである。鹿革や漆はほとんどが中国産なのだそうだ。日本では農林業への被害が起きるほど鹿が多いと聞くし、なぜ国産の素材が使われないのか。素朴な疑問を〈印傳の山本〉3代目の山本裕輔さんにぶつけた。

甲州印伝 伝統工芸士(総合部門)である山本さん。今のところ日本でただ一人(2021年7月時点)

「もともとは国産の鹿の革を使っていたんですが、戦前の頃に輸入の原料に切り替わってしまったんです。今使われている道具も中国産の鹿革をなめすためのものに変わってしまっています。中国産の鹿革は日本産の1/2~1/3くらいの大きさしかありません。だから機械も小型化されています。今はニホンジカの革をなめしたことがある技術者もあまりいないし、そのための道具もない状況なんです」

もっとも鹿と日本人の関係は深く、縄文時代の遺跡からは鹿の骨がたくさん出土し、獣肉の中ではもっとも食料とされていたとも言われるほど、古くから人が生きていくために欠かせない存在だった。中世の頃には、鹿革は甲冑などの武具に使われていた記録もあるという。今でも剣道や弓道の武具の素材に使われることもある。鹿は身近な素材として衣食住のさまざまな場面で活躍してきた。そうした延長線上で鹿革製品も発展してきたのだ。

中世の動乱が落ち着き、庶民の暮らしが安定してきた江戸時代頃になると、キセルを入れるための袋や銭を入れる巾着など、より生活に身近な日用品に形を変えていった。その頃から甲州地域では地場でつくられた鹿革製品を「印伝」と名付け、その存在を世に広めていったのである。今でいうブランド化の動きがあったのだった。

左の革が国産、右の革が中国産。国産の方が約3倍大きい。

近代になると日本列島の人口も増え、鹿が乱獲されたことで個体数が激減。明治政府により狩猟法が整備され、鹿の狩猟が厳しく制限されるようになった。昭和初期には絶滅に近い状態だったという。その結果、国産の鹿革は手に入らなくなってしまった。困った生産者たちは、当時の戦争により日本の領土となっていた中国から鹿革を仕入れるようになり、それ以来中国産の鹿革を使った印伝が中心になっているという。その歴史が今も地続きになっているのだ。

原点回帰へ
国産の印伝づくり

一時期は絶滅寸前にまで至った鹿だが、明治から昭和にかけて狩猟が規制された影響から、自ずと鹿の繁殖が進んだ。個体数は増加の一途をたどり、現在では鹿による農林業の被害が叫ばれるようになってしまった。近年になって狩猟の規制は緩和されたものの、ハンターの人材不足等もあり、対策はまだ十分ではない。特に林業では苗木や樹皮の食害による樹木の成長不良や枯れが発生し、関係者に大打撃を与えている。ジビエが盛んに叫ばれるようになったのも、鹿の狩猟を進めたいという思惑があるのだろう。戦前とは打って変わって、印伝に使える国産鹿革は豊富にあるということでもある。

●林業における鹿問題の記事はこちら

そうした状況で国産鹿革の印伝づくりに再び光を当てているのが山本さんだ。

今の段階では、同店における国産の割合は売上の5~6%だという。

「もともとは日本に材料があって、技術者がいて、それを使う人がいて、それらすべてのサイクルが成立して日本の伝統工芸になっていったという歴史があるので、もう一度原点回帰するべきだなと思っています。全国で鹿が増えすぎていることによる被害も出ているので、社会的責任も感じています」

印傳の山本では、2009年頃から国産の鹿革を使った製品づくりに取り組んできたが、中国産と同じように革をなめしてみても、原料の産地が異なるだけでまったく別物の仕上がりになったという。

「最初に父が挑戦したときは、ちょっと引っかいただけでボロボロと革が剥がれ落ちてしまって商品になりませんでした。父が途中で他界してしまったので、その遺志を継いで自分も国産の鹿革でつくろうということで、そこからトライアンドエラーを繰り返しながら、中国産の鹿革と同じくらいのクオリティのものをつくることができるようになりました。10年近くかかりましたね」

現在取り扱っている鹿革の色は約30種類。

国産印伝づくりのノウハウを蓄積した山本さんは、まず山梨県内での生産体制の構築に取りかかった。富士河口湖町、丹波山村、早川町、北杜市それぞれの猟友会と連携し、捕獲された鹿を解体処理施設で加工したあと、そこで鹿の皮をある程度ストックし、皮をなめすための工場へ送ってもらう流れになっている。これまでは有害鳥獣駆除による報奨金や、鹿肉の販売などを主な収入源としていた猟師にとっても、鹿の皮が商品として流通することは喜ばしいことなのだ。

「今まで捕獲された鹿の皮は土に埋めるしかなかったんです。土に埋めるのも手間がかかるので、埋めずにそのまま放置したり川に捨てたりしていた人もいたみたいです。そうすると、水が汚れてしまうんですね。ところが、“皮も売れる”ことになれば、捨てるところがなくなるし、猟師の報酬も増えます。そうなれば猟師を専業にできる可能性もありますし、若い人も目を向けてくれて、猟師の担い手育成にもつながると思うんです」

こうした地元の鹿皮の利用だけでなく、“漆づくり”にも余念がない。山梨県内の漆器を製造する企業と手を組み、県内で漆の植林も行っているという。国内のさまざまな伝統工芸で使われている漆の約97%が中国などからの輸入品だとされる現状において、かなり異色な取り組みだ。

「山梨県には漆の木が多く自生していることが分かったんです。県の森林研究所と共同で漆のDNAを調べてデータも収集しています。山梨の漆は『ウルシオール』(漆の主成分)の配合量が高いので、全国でもトップレベルの質だと思います。山梨は日照時間が長くて、汚れていない土があって、水はけもいいし、漆にとってすごくいい環境なんです。だから、短期間でも質のいい漆になるんじゃないかな。まだ実験段階ですけどね。植えた漆の樹液が採取できるのは2030年代頃になりそうです」

取材時に見せてもらったものは漆の樹液に白の顔料を混ぜ合わせたもの。

本格的な国産漆の利用までにはまだ少し年月はかかるが、国産印伝の実現はもう目の前まで来ている。

「『2030年に採れた鹿の革と漆を使った印伝です』みたいな、ヴィンテージものをつくりたいですね。ワインみたいに。財布を使うたびに、購入した年のことを思い出して大切に使ってもらえたらうれしいです」

一発勝負の漆つけ
緊張の一瞬

国産化の話を聞いたところで、印伝づくりの現場を見学させてもらった。作業場に入ってまず目に留まったのは、大量の型枠だ。「伊勢型紙」と呼ばれる着物の染めに使うための道具で、三重県鈴鹿市の伝統的工芸品だ。和紙を重ね、柿渋で加工した型地紙に職人が下絵を描いて、彫刻刀で一つひとつ手彫りしている。伊勢型紙の素材は岐阜県の美濃和紙が使われることが多いという。

この伊勢型紙は和紙の状態で納品され、自分たちで木枠に貼り付けているそう。
伊勢型紙は1枚10万円前後。模様が細かくなるほど単価は上がる。1つの型紙は繰り返し洗って使えば、1000回ほど使用できる。

「全部数珠つなぎになっているんです。どこかの伝統工芸がなくなってしまうと連鎖的に倒れてしまうので、お互いに支え合っている感じですね。型紙は消耗品なので、印伝が売れればその分型紙屋さんに発注が行きます。そうすると型紙屋さんは材料が必要だから和紙の業者に発注しますよね。消費者に一番近いのが僕たちなので、僕たちが活性化するほど印伝に関わる業界も盛り上がるというわけです。デザインによっては機械彫りのものを使うこともありますけど、なるべく伊勢型紙を使うようにしています」

使命を果たした型紙。

200種類ほどあるという型紙は、イチョウやトンボなどの和柄もあれば、キャラクターの模様もある。依頼があれば新しい模様をつくることもできるという。特に、規定が厳しいデザインに関してはデータ入稿できる機械彫りが重宝される。このおかげで製品づくりの幅が広がり、顧客の要望にもある程度応えられるようになってきた。

例えば、アニメや漫画などとコラボした印伝グッズをつくることで、これまで印伝に関心のなかった層に甲州印伝を知ってもらい、使ってもらうことができるようになる。最新技術と伝統技術をバランス良く活用するのが勘所なのだ。

「印伝のいいところは柄や形に決まりがないところですね。鹿革を使って漆で模様をデコレートすれば何でも印伝になりうる自由さがある。逆に昔から形を変えずにつくっているものはほとんどありません」

型紙の話だけでもかなり興味深いのだが、肝心要はここから。鹿革に漆をつける作業の現場に立ち会わせてもらった。

革は“小銭入れ”の規定サイズに裁断した状態。黄色い革の周りの新聞紙は作業台に漆がつくのを防ぐためのもの。
革の上に伊勢型紙をセットして、ヘラに漆をつける。
位置を定めたら力を入れすぎない程度にぐっと真っ直ぐに引く。

息を吞むように見守り、山本さんの作業は一瞬にして終了してしまった。漆づけは大きいものでも10秒ほどで終わるという。

「失敗したらやり直しできないので、10秒の中に持てる技術をすべて投入しています。そこに一番の難しさがありますね。印伝の場合の修行では、小さい革にひたすら毎日漆をつけていくんです。その成功率を100%に近いところまで高めて、徐々に大きいものに更新して、また成功率を100%に近付ける。その繰り返しです。印伝の場合は見て覚えても使い物にならない。どれだけの数をこなしたかによって技術の差が生まれます。数をこなさないとうまくならないですね。人によって、ヘラの持ち方、力の入れ方、手のリーチが全然違うので、人のマネをしてるうちは上手くならないんですよ。自分なりの力加減とか角度、持ち手の位置を自分の手で認識していかないとダメですね」

ひょうたんの模様。

漆づけが終わった革を型紙からゆっくり剥がしていくと、漆が糸を引くように少し伸びて、プツプツと切れていくのが分かる。これであの印伝特有のぷっくりとした漆の模様ができあがる。

「漆の精製は自分たちでやっていて、表面張力を出すために硬めに仕上げています。1日300~500枚分くらい漆づけの作業をするんですが、ヘラが重いとすごく手が疲れてしまうので、なるべく軽いものを使っています。使いやすいようにヘラの角度もやすりで削ってカスタマイズしてます。道具自体は祖父の時代から使ってますけど、もともとの形状は保ってないんです」

戦前は20社ほどあった印伝の会社も、今では3社となってしまった。鹿とは真逆に、つくり手は絶滅の状態だ。「甲州印伝に関わる人を1%でも増やしたい」と、小学生向けに見学の受け入れや出前授業なども行っている。

「印傳の山本として残す必要性はそこまで重要視していなくて、体験した小学生が楽しいなと思ってくれて、その中から一人でも印伝をつくりたいっていう子が出てきてくれたらうれしいです。印伝の事業をどんどん立ち上げてもらって、甲州という地に印伝の産地を残すことが重要だと思ってますから。地域全体で盛り上げていけば印伝の認知度も上がっていくんじゃないかな」

そうした思いが山本さんを突き動かし、国産鹿革の復活など、甲州印伝の古くて新しいスタイルを次々に生み出す動力になっている。どんなことを聞いてもスラスラと膨大な情報量を分かりやすく教えてくれる山本さんの姿から、これまでも人に伝えるという活動を積み重ねてきたことが伺える。

いくつもの伝統文化が折り重なっていること、そうした技術で暮らしている人がいること、いろいろな工程を経て目の前の製品が形を成していることを知ると純粋に面白い、と思う。そこには、携わった職人の数だけ、各人の思想や哲学が詰まっていると思うから。ただそれは、均一的な商品を手にすることが当たり前になった今だから、製法の複雑さに価値を感じているだけかもしれない。けれど、それこそが愛おしいのは紛れもない事実でもある。

●Information
印傳の山本
〒400-0862 山梨県甲府市朝気3-8-4
TEL 055-233-1942
https://www.yamamoto-inden.com/
田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。