にっぽん 民藝 journey
# 4
旅するように使いたい
暮らしにフィットする家具②
2020.6.20

日本各地には、土地の気候や地理、歴史文化、地域情勢などと密接な関係を持った木の民藝が点在する。それは伝統的なものから新しいものまで実に多彩だ。木を中心とした自然素材と向き合う手仕事には、大量生産型の工業製品にはない、見えない背景がプロダクトの数だけある。そうした民藝ができあがるまでのストーリーを連載では追っていきたい。

今回はありそうでなかった家具づくりに挑み続ける、長野県伊那市の株式会社やまとわの取り組みを前編・後編に分けて届ける。前編に続き、後編では同社の設立経緯に迫ってみよう。

▼前編はこちら
https://hibi-ki.co.jp/nipponmingeijourney003/

写真:西山 勲/文:田中 菜月

お前たちがやってることは
まったく意味がない

家具をつくり始めた頃は、どんな材料を使うか、意識したこともなかったという中村さん。意識が変わったのは、木こりの育成塾に参加したことがきっかけだった。

株式会社やまとわの代表を務める中村さん
もともと郵便局員として働いていた中村さんは、29歳のとき、幼い頃から憧れていた木工家の世界に飛び込んだ。

「日本の森が使われないことで荒廃が進んでいる事情を聞いたり、海外から輸入した木材を使って生活していることで、世界の天然林がどんどん減っているデータを見せてもらったりして、森林や木というものに目を向けるようになりましたね。『日本にはこんな近くに木があるのに何で使わないんだろう』って。その辺りから地域の木材だけで木製品をつくることにシフトチェンジしました」

「pioneer plants」の萌芽はこの頃から芽生え始めていたのだ。こうして、前編でも紹介した“アカマツによる家具づくり”へつながっていく。しかし、そこにはジレンマもつきまとう。

「僕がやれることって小さな木製品をつくるだけの話だから、世界の森林事情を変えるほどの量を使うわけじゃないんですよ。当時勤めていた職場の先輩にも『お前たちがやってることなんてまったく意味がないよ』と言われたことがあるんだよね。家具なんて実際は日本の森林の数にも入らないぐらいの木材量しか使わないですからね。でも、「そんなことない!もっと広めてやりたい!!」とすごく思って、その一方で何もできていない自分に不甲斐ないみたいな気持ちもありました。どうやったら皆に森林の現状を広めていくことができるのかをすごい考えるようになったんです」

そんな熱くも苦い思いを抱えていた中村さんが運命的に出会ったのが、今では仕事の頼もしい相棒となった企画室長の奥田さんだった。

株式会社やまとわの中村さんと奥田さんを取材中
手前が奥田さん、奥が中村さん。

「僕みたいな家具屋が日本中に生まれれば、日本の森林を変えていくことだってできると思っています。僕みたいなやり方をしようぜっていうのをみんなに伝えていくためには、やっぱり伝えるための手段が必要じゃないですか。でも僕は伝える力がないわけですよ。設計してつくることはできるけど、伝えることはできないし、デザインもできない。そんなとき、たまたま奥田くんと出会ったんだよね」

木をテーマにした地元のトークイベントに登壇者として呼ばれた中村さん。そして、このイベントの企画者を務めていたのが奥田さんだったのだ。

「そのあと、他のイベントでブースが隣になったときがあったのですが、そこで奥田くんがどういう思いでいるのかって話を聞く機会があって、『一緒にやろうぜ!』ってすっかり意気投合しました。そこから一気に新しい会社を起こそうかって話に進んでいきましたね。たった2回しか会ったことないのに(笑)」

自分は諦めたけど、
まだ諦めてない人がいた

人と人の交流や出会う場が少ない伊那で、そういった場をつくりたいと、当時の奥田さんは毎回地域の何かをテーマにして、トークイベントを仲間と開催していた。

三重県出身の奥田さんは大学進学をきっかけに長野へやってきた
三重県出身の奥田さんは大学進学をきっかけに長野へやってきた。

奥田さんはもともと、大学で森林について学んでいたという。

「大学で森が抱えている問題やその複雑さを先生から聞いて、何かしたいという気持ちはあったけど、とても学生の自分には手に負えないと思ったんですよね。なので、森で何かするってことは一度諦めて、それで森とまち、農村とまちをつなげられたらいいなと思って、卒業後はなんとなくライターの道を選びました。諦めてはいるけども、森のことは何かやりたいなってずっと考えてはいました。そんな中で中村さんと出会って、自分は諦めたけど、まだ諦めてない人たちがいる。そういう人たちとなら一緒に何かやれるかもしれないと思えたのがうれしかったです」

森林というあまりにもスケールの大きい事象は、とても一人では立ち向かえるものではないだろう。しかし、ともに臨む仲間が一人いるだけで心強いものだ。

「学生時代の僕はなんのスキルもなかったですけど、3年ぐらい社会人をやる中でライターとかデザインっていうことをやっていたので、今なら何かできるかもしれないっていう気持ちがあったんです。デザインを使うことで森に何かできるかもしれない。でも、ただそれだけでは無理だと思ったので、家具屋さんとか林業家さんと一緒に何かできないかなってことはちょっと思っていました。なので、中村さんから一緒にやろうって声をかけてもらったときはすごいうれしくて。年齢が20歳違うんですよ。僕は今31歳なんで、当時は27歳くらいなんですけど、よく誘ってくれたなあと思います(笑)」

声をかけた中村さんは当時何を感じていたのだろうか。

「最初に呼んでもらったイベントに集まっている仲間がみんな素敵だったんだよね。この人たちは前に向かおうとしてるなというか、自分が29歳のときに新たな世界へ飛び込んだときみたいに重なって見えた。それに、僕にないものを確実に持っていて、『あ~この人たちと一緒にやりたい』と思ってしまったんです。それぐらいすぐ好きになった。やりたいことがわりと似ていると思ったんです」

動き出した船はどこへ向かう?

こうして動き出した船は、『株式会社やまとわ』という形で2016年に創業した。最初は数人で始まった同社も、現在では社員数17人に。「森をつくる暮らしをつくる」をコンセプトに掲げ、

・木工事業部
・農と森事業部
・森事業部
・暮らし事業部

4つの事業を展開している。木工事業部は言わずもがな、地域材を使った家具づくりである。農と森事業部は、春夏に農業、秋冬に林業を、森事業部は森林塾の運営など、森に人が集まるような仕組みづくりを行う。そして、暮らし事業部は地域材を使ったリノベーションや、薪ストーブの活用など地域に沿った暮らし方を提案している。

やまとわ社員の集合写真
写真提供:取材先

木工だけに留まらず、私たちの生活全般に関わってきそうな領域にも手を広げているのが印象的だ。なぜこれほどまでに多様な活動になっているのだろうか。そんな疑問に奥田さんが答えてくれた。

「最初から“森の価値を上げていこう“という自分たちのテーマはありました。それを木工を通してやりましょうというのが最初です。そこから、いろんなことを分断するのではなくトータルでやっていく中で新しい価値ができるんじゃないか、と考えが変わっていきました。森を一個一個の機能で考えるんじゃなくて、全体で考えないと、今の当たり前を変えることはできないと思ったのです。そうやって事業部が増えていきました」

ずっと木工を生業としてやってきて、いきなり林業なんてできるものなのか。中村さんに尋ねてみると、

「地域材で家具をつくるためには、誰かが情報をくれるまで待っていても木は集まってきません。だから結局自分が山に入って木を伐るようになるんだよね。僕も森林塾(※)の卒業生なので、一応スキルとしては伐採技術などを教わっていることもあって、地元で森林整備チームを立ち上げたんですよね。今12人くらいで活動してますけど、毎年60本くらいの間伐をするような活動を8年くらいやっています。500本以上は伐ってきたと思うので、安全に伐採して運び出して、木を使う、という一連の流れはできるようになったと感じます。小さな規模ではありますけど、林業はできるなと思うようになりました」

※森林塾についてはこちら
https://ssl.yamatowa.co.jp/project/mori

自分たちで林業をするだけでは家具などに使う木材を賄えないため、木材調達ルートも独自につくり上げています。

「森林塾の卒業生の皆さんが、このあたりに一人親方の木こりとしていっぱいいるんですよ。その人たちから直接材木を買う、そういうルートをつくったんですよね。皆さんが電話をくれるんです。『中村さん、ここで今伐ってるんだけど買わない?』って。そこで買取させてもらったものを製材所に持ち込んで材料に加工して、あとは自分たちで木製品をつくるっていう流れを確立できました。今は安定的に材木が調達できるようになって、ほぼ100%地域材です!」

中村さんのこれまでの経験とつながりや、地域の資源が循環できる小規模な取り組みだから成り立っていることなのかもしれない。でも、小規模だからこそ、森林資源が豊富な他地域でも、同社がモデルケースになる可能性も感じる。

“パイオニアプランツ”のように
未来を切り開く存在へ

パイオニアプランツとは、例えばある場所が山火事などで裸地になったとき、いち早く最初に芽を出して育つ植物のことだ。同社の家具ブランド「pioneer plants」で使われるアカマツも実は、伊那地域特有のパイオニアプランツなのである。そんなアカマツのような開拓者として森の未来を切り開いていきたいと、このブランド名がつけられたそう。

「独立したときに20年続けたら地域材を使うことが当たり前になるなと思っていました。実際、20年前と今とでは本当に変わったなって思うんです。最初は地域材の話をしたら『あいつほんとバカなんじゃない』って感じだったんですよ。森の中でイベントをやったら小さな子どもが一人来てくれただけで、一緒に雨の中で遊んだこともありました(笑)。ほんとそんな状況だったんです。でも今、森の中でイベントを開くと何百人という人が集まってきてくれているから、『あ~意識が変わったなあ』って実感しますね。あと20年やれば普通になっていく、地域材は死語になると思います。地域材の家具がどんどん使われていって、ふと振り返ってみたときに森の色んな問題が解決されている、そんな未来になっていったらいいですよね」

そう話す中村さんは他の木工家の刺激にもなっているようだ。というのも、最近、大阪から引っ越ししてきたという知り合いの木工家さんが、輸入材を使うスタイルから一転、地域材しか使わなくなったというのだ。身近なところから確かに、少しずつ変わり始めている。そして、木工家だけでなく買い手側からも変化が起きていくだろうと、奥田さんは言う。

やまとわ社屋の外観

「お客さんが気に入って、ほしいなと思ったものが、たまたま日本の森を良くしているっていうスタンスがいいなと思っています。地域の木を使うことが普通になれば自ずと変わるので、そのためにはどうしたらいいか色々提案していきたいし、pioneer plantsもその一つです」

一般消費者への販売に限らず、行政や企業向けにも提案していきたいと話してくれた。行政や企業が所有する森林で採れた木材を活用して、休憩スペースやオフィスのイスやテーブルをつくれないか、といったことも計画中なのだとか。「これ、うちの森の木でできた家具なんだぜ」って、つい人に話したくなる連鎖が広がっていきそうだ。実際、事例も一つできたと中村さんがうれしそうに教えてくれた。

「隣村からの依頼でその村が所有する山から木を伐り出してpioneer plantsをつくって、先日納品をしたところです。木を伐るところから全部やりました。100%地域材でできたので、めちゃくちゃうれしかったですね」

pioneer plantsは伊那だけでなく、色んな地域にじわりじわりと芽を出し、やさしく地を覆うように広がっていくのだろう。そんな期待を抱かせてくれた。

パイオニアプランツの折りたたみの机

「明日山に行こうかなと思っているんだけど、このイス(クマのオーウェンさんのイス)を担いで登って頂上でコーヒーでも飲もうかなーって思ってる」(中村さん)

「ちゃんと(広報用の)写真撮ってきてくださいね」(奥田さん)

こんなふうに、気軽に、休みの日は木のチェアを携えて森に出かけてみるのもいい。今までと違った暮らしの景色が見えてくるはずだ。アイテム一つで、暮らしが変わる。森も変わる。それは家具だけじゃない。次は何だろうか。楽しむ準備はばっちりだ。

●Information
株式会社やまとわ
長野県伊那市荒井3672-1
0265-78-2121
meguru@yamatowa.co.jp
https://ssl.yamatowa.co.jp/

▼pioneer plantsのアイテムはこちらから購入可能です
https://pioneerplants.jp/product/

田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。