日本各地には、土地の気候や地理、歴史文化、地域情勢などと密接な関係を持った木の民藝が点在する。それは伝統的なものから新しいものまで実に多彩だ。木を中心とした自然素材と向き合う手仕事には、大量生産型の工業製品にはない、見えない背景がプロダクトの数だけある。そうした民藝ができあがるまでのストーリーを連載では追っていきたい。今回は飛騨高山の伝統的工芸品である「飛騨春慶」を製造販売する山田春慶店をピックアップ。
家族の力と職人技が織り成す
飛騨春慶のアクセサリー
飛騨高山の伝統的工芸品の一つである「飛騨春慶」。400年ほど前から伝わる漆器で、透明度の高い透き漆により木目の美しさが引き立った逸品だ。かつては茶器にはじまり、盆や重箱などの生活用品が多く生産されてきたが、今を生きる飛騨春慶としてアクセサリーなども登場するようになった。こうした流れをリードしてきたのが山田春慶店だ。昭和43年に創業した同店は、日本三大美祭の一つと言われる“高山祭”の拠点として名高い櫻山八幡宮の参道沿いに店を構え、飛騨春慶の企画・製造・販売を担う。
「創業した頃は作るものが何でも売れましたね。何をどうこうって考える必要もないくらい(笑)」と話すのは2代目・山田英俊さん。国内旅行ブームの影響も相まってお土産として、また、結婚式の引出物などの贈答品としても飛騨春慶の品々は大きな需要があった。しかし、時代が進むにつれて売れ行きも下火に。そこから独自の商品開発に注力するようになったと言う。
「うちはうちなりの独自のものを作るように意識しているので、春慶を扱う他店にはない商品がほとんどになりました。年配の人は春慶を使ってくれるけど、若い人にもアピールできるものを考えないといけない、と思いカードケースなんかも作るようになりましたね。アクセサリーもずっとやりたかったんです。ただ、私はそれを作ることができても、アレンジすることができなかった」
そんなとき、英俊さんの息子さんが結婚し、麻里枝さんが神奈川から高山へ嫁いできた。
「(麻里枝さんに)アクセサリーづくりをやってみないかと声をかけたところ、挑戦してみたいという話になって」
こうして始まったのが飛騨春慶のアクセサリーだった。
お義父さんは発明家
時代に沿った伝統を
通常の製造工程では、英俊さんが企画した内容をもとに木地師と塗師にそれぞれ発注をかけ、木地師が木材を加工して製品の形を整え、その木地に塗師が漆を丁寧に手ぬりして仕上げる。
でも、アクセサリーづくりは少し異なる。パーツ部分の木材加工は英俊さんが担当。その後、塗師に漆を塗ってもらったら、最後は麻里枝さんがビーズや金具などの装飾を施して完成。一般的な飛騨春慶の製品にはない細かなアクセサリーパーツは塗師にとっても未知の領域。通常の道具では漆を塗れないため、英俊さんが自作した刷毛などの道具を職人に使ってもらう。
アクセサリーのデザインは、麻里枝さんが客から拾い上げた声を英俊さんが形にしていく。「そんなことやっているとどんどん商品が増えちゃう」と笑う英俊さん。ときには自身のアイデアも取り入れる。「忙しいのに、たくさん思いつく。お義父さんは発明家なんですよ!」と麻里枝さんを唸らせるほどだ。
店頭に並ぶ飛騨春慶を見渡すと、色の豊富さに驚く。漆塗りといえば赤や黒のイメージが強いが、山田春慶店では黄色・紅・緑・青の4色がそろう。このバリエーションはアクセサリーづくりがきっかけだった。「最初は色の種類が黄色と紅しかなくて。でも、それだけでは面白くないから緑と青も増やしたんです。漆を塗ると発色が良くなる色とそうでない色があって。さまざま試した結果、この4色に落ち着きました。色を重ねてみたりもしてますよ」
英俊さんの飛騨春慶づくりは、常に試行錯誤とともにある。いつも“今”が最良の状態だ。木地師・塗師に加えて、英俊さんもまた飛騨春慶づくりに欠かせないキーパーソンなのである。
「いい木地ができたなって思っても、漆を塗ってみたらダメだったりね、木地のときに見てなんじゃこれ〜ってものが漆を塗ってみたら良かったりとか。仕上げてみないとわからない。ダメだったときは改良していく。ですから、ボツになった商品はたくさんありますよ」
家族それぞれが
新しい春慶を形づくる
ものがあふれる現代において、飛騨春慶を手に取ってもらうことはより難しくなっている。長い歴史だけでは太刀打ちできない。だからこそ家族総出で、それぞれができることをやっていく。
アクセサリーのアレンジ部分を担う麻里枝さんは、子育てをしながら隙間時間に製作に励む。加えて、商品の写真撮影やInstagramへの投稿、イベント出店なども合間を見て行っている。麻里枝さんの夫であり、英俊さんの息子・晃輔さんはデザインやIT関係の仕事をしていることから、山田春慶店のホームページやオンラインストアの制作を担当。見やすく充実したサイト情報は、貴重な販売チャネルの一つだ。英俊さんの妻・巳知子(みちこ)さんは、店頭での接客対応などを行う。外国人観光客も多く訪れるため英語での対応もお手のものだ。
そんな山田家と飛騨春慶の職人の手を経たプロダクトが若い世代を中心にじわじわと裾野を広げ、これまで飛騨春慶を使う機会のなかった新たな層を取り込むきっかけとなっている。アクセサリーを入口に若い世代が飛騨春慶を手に取るようになり、インスタ映えすると若い夫婦が重箱などを購入していくことも増えてきた。
400年続いた伝統技術を誇る職人技は当然のこと、伝統的工芸品が今もこうして息づいていられるのは、消費者と一番密接な存在である販売店が、世の中に求められるものを追求し続けているからなのだと実感する。どんなに技術や品質が高く懇切丁寧に作られたものであっても、使われるものであり続けなければ生き残ることはできない。でも、決して力みすぎているわけでもなく、緩やかに取り組んでいる感じもいい。そんな思いが沸き起こる山田春慶店との邂逅だった。
同店のように、作り手は言わずもがな、企画やデザインをする人、原材料を採集したり商品をPRしたり、民藝ができあがるまでに関わる人は私たちの想像以上にいるはずだ。すべての流れを追うのもいいし、どこか一部分を切り取るだけでも面白い。きっとそれぞれにしかない物語があるはずだから。全国を飛び回って、もっともっとにっぽんの民藝を探しに行こう。