hibi-ki Hiker’s club
# 20
中国山地で
怪しの山を歩いてみた
2026.5.11
photo by 谷本彩耶

世界各地のトレイルを走破している元地理教師でハイカーの玉置哲広さんを案内人に迎え、森の世界旅行へ一緒に出かけてみましょう。今回は、謎の伝説が眠る中国山地の旅をお届けします。

写真・文:玉置 哲広

数々の伝説を秘めた
比婆山と初登山

ヒバゴンってご存じでしょうか。

多くの方は「何じゃソレ?」ですよね。今から50年以上も昔、広島県北部の比婆山山域で、類人猿のような怪しの未確認生物の目撃情報が相次ぎ、それにつけられた呼び名が「ヒバゴン」です。

まあ、ネス湖のネッシーみたいな感じですね。最初の目撃情報が1970年だそうで、当時私は広島県の小学5年生でした(歳がバレバレ)。マスコミが大いに騒ぎ、県北の寒村はテレビやモノズキ人でごった返したそうです。その後、75年を最後に目撃情報は途絶え、全国的には忘れ去られて歳月が流れました。

このたび、すっかりジジイと化した50数年前の少年は、「そうだ比婆山へ行ってみよう!」と思い立ちました。広島で生まれ育った私ですが、当時は車も免許もなく、この地域は住んでいた場所からはるかに遠い場所でしたし、その後東京に出て、盛んに山歩きをするようになってからも、この広島の名山には行ったことがなかったのです。

里の桜が満開を過ぎようかという頃、スタート地点である県民の森へ車を走らせていると、農家の庭先にさっそく「ヒバゴン出没地点」の真新しい看板を見つけました。

ヒバゴン出没地点の看板

まだまだ、ここではヒバゴンは忘れられていないようです。現在は庄原市の広大な市域の中ですが、かつては比婆郡と呼ばれた場所です。

当時から人口希薄でしたが、今では全国有数の過疎地帯で、ローカル線は廃線の危機となっています。その分、自然は色濃く、人知を超えた怪しいものに遭遇しても不思議ではありません。ほど近く県境を接する島根、鳥取、岡山の各県にはそれぞれ「ばけばけ」「鬼太郎」「八つ墓村」などの怪しいストーリーがありますし。

しかし、整備された駐車場に着くと、怪しさとは正反対の爽やかな青空が広がり、気持ちのよい山の朝を迎えていました。正面には比婆山の本峰がなだらかに横たわっています。

比婆山正面。古墳のようにも見える。
比婆山正面。古墳のようにも見える。

ただ、その手前に鳥居と祠、針葉樹の木立があり、「むむ!これはまるで古墳を正面から見た形じゃないか」と注目しました。実は、比婆山本峰は「御陵」と呼ばれ、イザナミノミコトの陵墓だと言われているのです。「古事記」にその記述があり、ヒバゴンの他にも、こんな謎の伝説を秘めているのでありました。

ヒバゴンと遭遇なるか?!
いざ、比婆山のピークへ

まずは、比婆山北方のピーク烏帽子山へ向かって歩き始めます。出雲峠までは重機でならしたような幅広の道で、林道の散歩という感じでした。気持ちの良い広葉樹林が続きます。葉を落とした淡色の森の中で、時おりタムシバの木が白い花を満開させていて、いいアクセントになっていました。

出雲峠へ続く幅広の道。
タムシバの木。

出雲峠の名前から、ヤマタノオロチの伝説も思い出しました。これは周辺で盛んだったタタラ製鉄を想起させるお話ですが、かつては製鉄の炭材として、広葉樹の森が利用されたのでしょう。

峠からはやっと山道らしくなり、たいした急登もなく、烏帽子山に登りつきました。晴天の土曜日なのに他に登山者がいなくて怪しいなあ、と思っていたら、5〜6人のパーティーがやって来ました。人が少ないのは、関東に比べて登山者密度が低いというだけのようです。

彼らは「大山(だいせん)が見える」と騒いでいて、かすかに大山の山影が見えました。関東や中部の山では、「富士山が見える」と騒ぐのが常ですが、これが「大山が見える」となるのが、中国地方の山あるあるなのです。

比婆山本峰へ向かう。
比婆山本峰へ向かう。

さて、ここからいよいよ御陵と呼ばれる比婆山本峰に向かいます。陵墓といわれるほどのなだらかな山容なので、歩くのは楽ですが、雰囲気がガラッと変わってきました。太い古木に覆われた森に変わり、その中に巨岩も鎮座しています。神様の領域に入った感じがしましたが、樹々の葉が落ちているので、暗くはありません。古木はブナで、地図にも「比婆山のブナ純林」と特記され、とくにここは神域として守られてきたのでしょう。

ブナ林に大きな岩が混じり合う。
ブナ林に大きな岩が混じり合う。

そして、ついに御陵の中心に着きました。岩の周りに常緑樹が何本かあり、ここだけ暗くて雰囲気が違います。御神酒が供えられた小さな祠もありました。イザナミノミコトが祀られている場所です。説明板によれば、常緑樹はイチイで神聖な木としてここを護っているとの事。

御陵とされる場所。小さな祠がある。
御陵とされる場所。小さな祠がある。

ここでゆっくりするのも何となく憚られるので、手を合わせてから、すぐに比婆山御陵を下り、南側へ縦走を続けました。ブナ林越しに次のピーク「池の段」が見えてきたので、そこまで一気に登り返すと、草原に変わり、360度の展望が開けました。比婆山御陵の全貌が見わたせ、イチイの神域もはっきりとわかり、伝説の山らしく見えました。

池の段から見た比婆山御陵。イチイの木だけが緑。
池の段から見た比婆山御陵。イチイの木だけが緑。

あとは、のんびりと過ごし、ブナの森を下ってスタート地点に戻りました。御陵の雰囲気だけは独特だったなあ、と車を走らせていたら「日本ピラミッド」なる道路標識が現れました。実は近くに神武天皇陵のピラミッド説がある「葦嶽山」という怪しさ抜群の場所もあるのです。

ともかく、ヒバゴンにもヤマタノオロチにも出会うことなく、それより恐ろしいクマやイノシシにも遭遇せず、無事に下山できたゼ!と、思っていたら車の目の前をキジがゆっくり横断していきました。自然の豊かさだけはまちがいない場所です。

玉置 哲広 (たまき・てつひろ)
広島県出身でカープファン。大学時代に登山を始め、板橋勤労者山岳会に所属して、広く内外の山に登っている。高校の地理教師をしていた。モノ好きで蒐集癖があり、様々な文化に首を突っ込むが、ヘタの横好き。愛読書は地図帳と山の歌本。