森で働く
# 3
柳沢林業 Vol.1
空に近い仕事場
2020.4.14

「森と関わって働く人」のリアルな現場の声を伝えていく当連載。木を伐採するというと木材生産のためが主ですが、それ以外のニーズもさまざまあります。今回はいわゆる「特殊伐採」と呼ばれる仕事にフォーカスしてみます。長野県松本市にある株式会社柳沢林業で樹木班に所属する久恒公二さんの現場に伺いました。

写真:西山 勲/文:田中 菜月

特殊伐採の世界
木の上のロープワーク

《特殊伐採》
久恒 公二さん
株式会社柳沢林業(長野県)
樹木班

久恒さんの仕事は、木の上に登り、樹上で伐採作業をすること。

なぜ木の上で?
一体どうやって登り、どのように伐採しているのか?
怖くないの?

「特殊伐採」や「空師」と呼ばれるような仕事はなかなか目にする機会がないからこそ、疑問が次々沸き起こり、想像も膨らみます。具体的にどのような作業内容なのでしょうか。

久恒さんが勤務する柳沢林業では「山林班」と「樹木班」で作業内容が大きく分かれています。山林班は一般的な林業、つまり、森林所有者それぞれの土地を集約化させ、ひと山を一体的に管理して間伐などの手入れをします。樹木班はそれ以外で樹木を扱う案件を担当。街中の支障木を処理するのはもちろん、樹上に限らず、家の裏の林を伐採して整えたり、河川敷の木を全部伐り出したり。林内で堰堤工事をする前に工事の支障になる木を伐ることもあります。

樹木班の作業計画が書かれた図面。周囲の建物や伐採する木の配置が書かれている。

取材で訪れた現場は住宅街の中にある小さな神社。枯れ枝を落としてほしいという依頼内容を受けて、高所作業が行われている最中でした。見上げると、木にはいくつものロープや特殊な器具がたくさん取り付けられているのがわかります。これらを巧みに操ることで、樹上を登り降りしたり、太い枝を吊るして慎重に下ろしたりすることができます。こうしたロープワークはアーボリスト(※)の研修会を受けて学んだそうです。

※アーボリストとは、樹上などで木の生育を促したり、剪定・伐採したりできる技術者のこと。

スローラインの重り。

樹上作業を始めるときはまず、木にロープをくくりつけるため、“スローライン”という専用の道具を使って作業体制を整えていきます。片方に重りがついているこのロープを投げて枝にかけることで、枝周りにロープを固定させていくのです。

樹上で手が空くよう腰回りに集約された道具類も特徴的。
「これはロッククライミング用とは違って仕事用の道具で、1個1個が高いんですよ。ヨーロッパかアメリカのメーカーが多いですね。個人で買って、仕事で使えば道具代としていくらか会社から支給してもらえます」と久恒さん。まさに命綱となるこうした道具たちは、特殊伐採における必需品であり、象徴的なアイテムです。

毎回の現場が“初登”
樹上にある前人未踏の領域

樹上で自在に動き、伐採までもこなす特殊伐採。ちょっと変わったこの仕事、久恒さん自身はどう感じているのでしょうか。

「わりと飽きないし楽しいです。現場もよく変わるし、似た木はあっても全部違いますから。俺は昔から岩登りが好きなんですけど、そこで価値があるのは“初登”なんです。今の仕事なんて毎回初登ですよ。『あの樹上まで行った人間いるの?俺だけでしょ?』みたいな(笑)。自分にとって登ること自体は遊びの範疇なので、仕事で遊ばせてもらっている感覚です。登るだけならすごく楽しいし、生えてる木を伐る作業も毎回一本一本違うから飽きないです。俺は山林班よりこっちの方が向いていると思います。山だとちょっと飽きちゃうし」

そんな久恒さんも、もともとは林業に携わっていました。柳沢林業に入って約6年経ちますが、その前は半年ほど一人親方のもとで林業の修行をしていたと言います。
「職人気質の親方で、マンツーだから逃げ場がなかったですね。毎日『お前何やってんだ帰れ』みたいな感じで言われてて、ある日『あ、帰ろうかな』と思って、『じゃあ帰ります』って普通に帰りました(笑)。まあ喧嘩別れですね」

その後すぐに柳沢林業に入社。しかし、2ヶ月経った頃すぐにケガをしてしまいました。チェーンソーで木の枝を払い落として、しいたけ用の原木を加工していたときのこと。短くて不安定な木がぐらついた瞬間、キックバック(チェーンソーの反発力で機械が跳ね上がる現象のこと)を起こしてしまいました。もれなく跳ね返ったチェーンソーで左足の親指を切ってしまったのです。指が皮一枚になるほどの大ケガで、全治約半年でした。

樹木班のメンバー。右から班長の矢野口久希さん、久恒さん、この日初現場という鈴木政人さん、ムードメーカーの川本良子さん。

そんな状況で転機が訪れたのは、復帰して半年経った頃に開かれた忘年会でのことです。
「樹木班のボス(現副社長)に軽く言ったんですよ。その頃は樹木班じゃなくて特伐チームだったんですけど、『今度特伐呼んでください』って一言だけ話しました。そしたら年明けから特伐チームに呼ばれて。元々チームにいた人が、山林班のほうで修行し直したいって抜けたタイミングだったみたいです。そんなにがっつり特伐をやるつもりはなかったんですけどね。岩登りが好きで高いところが好きだから、楽しそうだなぐらいだったんです。その頃はまだ完全に班が分かれてなくて、行ったり来たりする人もいました。そんな感じで時々呼んでくれればいいと思っていたのですが、がっつり入っちゃって。そこからずっと樹木班です」

遊びとは別で
自然の中で働きたい

現在42歳の久恒さん。出身地である兵庫県から長野県へやってきたのは大学進学がきっかけでした。

「野外教育関連のコースに入りました。卒業後はとりあえずキャンプ場運営をやってる長野市の会社に就職して、キャンプインストラクターを3年ぐらいやっていました。そのあとは、旅に出ました(笑)。ふらっといろんな国に。それがなんだかんだ結構長くて、ちょこちょこ日本には戻ってきてはいたけど、そんなふらふら生活が30歳すぎまで続きました。林業を始める前までです。当時は旅しながらその土地で働いたり、日本へ帰るたびに北海道とか沖縄で住み込みのバイトをしたり。今の嫁さんとはオーストラリアで出会いました。日本へ戻るタイミングで一緒に帰ることになって、そこからはずっと一緒です」

何もあてがないまま、長野へ戻ってきた久恒さんはまず、家を探すことにしました。
「世の中結構厳しくて、家を借りるのに仕事をしてなきゃ借りられない、と。仕事するにも住所不定じゃ働けないって知って、『え、打つ手なしじゃん』という状態になったので、まずはなんとか家を見つけました」

その甲斐もあり、林業の仕事に無事就くこともできました。しかし、なぜ森で働こうと思ったのでしょうか。

「ふとですね。もちろん自然が好きなことは大前提ですけど。前にキャンプインストラクターやっていたときは、自分も遊びたい盛りだったんですよ。子どもとマウンテンバイクに乗ったりカヌーやったりするんですが、自分が遊んでいる感じはしない。本当は全力で遊びたいんだけど、子どもに教える立場だからそういうわけにはいかない。もやもやしていたから、ああいうのはもうやめようと思っていました。林業は自然の中で働くけど、遊びを仕事にしなくていいっていのうはありましたね。それに、いつでも全力で遊べるような身体でいたいと思って。趣味のロッククライミングは子どももいるし最近行けてないですけど、子どもたちが大きくなったら一緒にやりたいなあ」

一生やる気はない
逞しく生きていく

実はこの取材のとき、3人目の子どもの出産予定日が近かった久恒さん。2ヶ月ほど育休を取る予定だと話してくれました。世間一般では当たり前になってきた制度ですが、林業界ではまだまだ浸透していない現状からするとパイオニアです。給与は月給制で、これもまた業界的には少数派の取り組み。同社では、経験と年齢に応じて昇給する仕組みになっているのだとか。年齢を重ねて人生経験を積むことで何か役立つことがあるのでは、という代表の意向があるそうです。

「でも正直給料は安いですよ。生活していけないことはないけど、他の皆はどうしているのかなと思いますね。俺はラッキーで探し当てた家が家賃年間2万円なんですよ(笑)。茅葺きにトタンが張ってあるような一軒家です。最初は1万円だったけど、駐車スペースを広げたかったので、そこを借りるために自主的に2万円にしてもらいました。そういう状態だから何とかやっていけてるけど、子どもも増えるし大丈夫かなってちょっと不安ではあります」

安全のため地上にいるメンバーとの連携が絶対。枝を落とすときも必ず声を掛け合う。

平日の勤務は7時半に会社での朝礼から始まり、昼休憩1時間をはさんで17時まで。
「土日は休みですけど、疲れているときは動けないですね。ちょい田舎暮らしだから休日もやることあって忙しいです。草刈りや薪割り、それに地区の町会長みたいなのも回ってきちゃったから。なので今は自分の時間がもう少しあったらうれしいですね」

久恒さんの育休により、山林班から引き抜かれた鈴木さん。この日が樹木班の初現場と聞いて取材陣一同びっくり。

会社ではまだまだ中堅という久恒さん。今後どうなっていくのか気になります。
「この 仕事を一生やる気はないですね、今は。自分の中では修行中というか、社会復帰中という感覚です。放浪生活が長かったから、普通の生活はちょっと厳しいかなと。お金を稼ぐことにすごく自信がないんですよ。だから既存の仕事を選んだけど、田舎暮らしするし、逞しくなろうと思って林業を選んだのもありますね。あれから6年経ったので、だいぶ良くなったかも(笑)。理想は何でも全部自分でできるようになればいいと思っています。例えば家もボロいのでまっすぐな床がないから直したり、隙間があって寒いから二重サッシの窓を自分で取り付けたり。いろいろリフォームしているので毎日忙しいっす」

久恒さんの話を聞いていると、なんだか川の流れのように人生を歩むうち、気付けば自身に合った道がしっかりと形づくられているように感じます。特殊伐採という仕事は通過点の一つでしかないのかもしれないし、明確に目指して辿り着いた今ではないのだろうけれど、それでも、歳を重ねても尚自分に素直で、自分だからこそ楽しめる要素を仕事の中に見出して、一つずつ手探りで今をつくっている、そんな生き方がなんだか眩しくもあり、ちょっと憧れるような。

生きていれば誰しも道に迷うもの。一つのことだけを貫かなくてもいい、途中で道を変えたっていい。そんなことを久恒さんに教えてもらったような気がします。木が一本一本違うように、私たちの働き方、暮らし方が一人ひとり異なるのは当たり前。自分にとって自由な生き方は何だろう。これからも森に落ちているヒントを拾い集めて、皆さんの懐にそっと届けていきます。

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田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。